PARCでは50周年を迎えるにあたり、改めて私たちの立ち位置を確認し、これからの運動のあり方を考えていくために、8月29日から9月2日にかけて、スタッフの研修の一環として、また後半では理事・会員有志も加わって、福島を訪問してきました。
初日の8月29日は、自由学校「『じゃなかしゃば』からポスト3・11世界へ」講座で講師をお願いした木村真三さん(獨協医科大学国際疫学研究室福島分室長・准教授)にご案内いただき、浪江町津島地区を訪問しました。
木村さんは、3・11直後、NHKのクルーとともに福島に入り、放射能汚染の調査を行われましたが、その後も福島で地元の方々と寝食をともにしながら、継続的に調査を積み重ねておられます。山間部にある津島地区は全域が帰還困難区域となっていましたが、2023年3月31日に津島地区全体の1.6%だけの避難指示が解除されました。しかし、木村さんにご案内いただき地域をみる中で、そんな限られた地域だけが解除されたところで、買い物するにも医療機関にかかるにも不十分で生活するのは難しいということが、実感されました。また、すでに除染を終えたとされている住宅の周辺でも、草むらの部分や側溝など、随所の線量が高い状況にあることを目の当たりにしました。
その後、9月1日には、「ふるさとを返せ 津島原発訴訟」の原告の一人である三瓶春江さんに、ご自宅の様子をご案内いただきました。三瓶さんのご自宅は避難指示が解除された区域に含まれていますが、原発事故から12年の月日が流れる中で、床が抜け、家具が倒れ、生活のできる状態ではなくなっていました。国は、避難指示が解除された区域にある建物について、解除日から1年以内に解体申請をすれば解体費用を国が持つ、と定めています。そのため、住民の方たちは、地区の一部が除染・避難指示解除されただけであるにもかかわらず、帰還するかどうか、また自宅を解体するか残すかの難しい決断を迫られている、といいます。
放射能は目に見えないこともあり、被害を可視化することが困難です。そういう中で、復興の名のもとに、何事もなかったかのように問題を隠す動きが加速しているように感じます。実直に汚染の状況を測り続ける木村さん、裁判で声を挙げ続ける三瓶さんの活動に、つながっていきたいと感じました。