PARC自由学校では2024年11月21日から24日まで3泊4日で「アクションツアー沖縄2024~抵抗と連帯の現場へ~」を開催しました。案内人兼ドライバーは命どぅ宝ネットワーク代表の太田武二さん。那覇空港現地集合解散、参加者20代から80代の方まで19名、スタッフ3名の大所帯の旅となりました。
今回のレポートでは初めてツアーに帯同した私の視点から、スケジュールに沿って報告をします。
報告:秋田真千代(PARCスタッフ)
11月21日(木)那覇空港→辺野古
12時那覇空港集合。道中、新基地建設計画の現状について沖縄ドローンプロジェクトの奥間政則さん(1級土木施工管理技士)からお話を伺いつつ辺野古へ。
辺野古:ゲート前訪問、座込行動
キャンプシュワブゲート前を訪問、15時の辺野古ゲート前の座込行動に参加。無表情な警備員、機動隊に囲まれながら座込行動を開始。土砂搬入時にゲート前で座込を行うことで新基地建設へ反対の意思を示すこと、工期を遅らせることが目的だ。ほどなく機動隊による座込者の牛蒡抜きが始まる。両手両足を抱えられ、身体が空に浮いた状態で排除される状況は恐怖に近い。ゲートが開くと、遠くまで列をなしていたダンプが、次々とそこに吸い込まれていく。「運転手たちも葛藤しながら運搬しているのではないか」と、勝手に想像しつつ注視する。
その後、瀬嵩(せだけ)の浜で奥間さんによるドローン撮影を見学。奥間さんは2018年からドローンで辺野古新基地の埋め立て区域を定期的に撮影し、専門的見地からずさんな工事や計画について指摘しつづけている。眼前では海中への杭打ち船が作業をしていた。
11月22日(金)大浦湾→名護→安和桟橋→今帰仁村
大浦湾:抗議船乗船
夜中から続く雨で「船は出ないかもしれない」と思いつつ大浦湾に到着。時よく雨がやみ、2グループ交替で約1時間ずつ大浦湾を巡る抗議船(船長:大畑豊さん(非暴力平和隊・日本(NPJ)共同代表)に乗る。前日、浜から見ていた杭打ち船を海上から観察。この日は、いつもよりも杭打ち速度が速く、多数の杭を打っているようだと説明があった。私たち抗議船が近づくと、黄色の浮きの向こう側に警備艇がやってきて、「危ないから近寄らないでください。離れてください」と絶えず声を上げ続ける。まるで、見られてはいけないものから距離を置かせるかのように聞こえた。
午後、名護に移動。道中すれ違うダンプカーの多さに気づく。参加者からは「基地工事とは無関係の運搬としても、そのように見えてしまう。」との声が上がっていた。
名護:国立ハンセン病療養所愛楽園に移動見学。
この園は現在国立なのだが、もともとは「患者立」の施設とのことだった。訪問者と入所者がガラスで隔てられて話す面会室、無菌地帯(施設外)と有菌地帯(施設内)を隔てる壁など、当時のハンセン病と世間の状況を垣間見た。そんな中でも、入所者の親たちが「子どもたちに教育を」と開校した学校があった。建物自体はなくなっているが、親たちの持つ「子どもの未来」への思いに深く感じ入った。
現在でも差別はハンセン病回復者たちに付きまとっている。根強い差別・偏見による孤立に健康面や経済面の不安などもあわさり、施設に戻る選択をする人が少なくない。社会の「優しくなさ」を感じる。
名護:安和桟橋 牛歩参加
辺野古の海に投入される土砂積込ダンプ搬入時に牛歩抗議活動が行われている安和桟橋へ移動。傍らには巨大なホースがあり、それを通して土砂が積み込まれる。側に停泊している船によって運び出されることも見て取れる。海上と地上からの土砂輸送の地である。
西浦昭英さん(平和ガイド)のお話を聞いた後、桟橋で牛歩抗議参加。ここでは7時から20時まで、日によって違いはあるが1日2000台近い搬入車が出入りするとのこと。ここでの牛歩抗議とは、搬入口前の横断歩道をゆっくりと時間をかけて渡ることで、搬入ダンプを1台でも減らすことを目的としている。それに対し警備員たちが高さ1m程のオレンジ色の網を横に伸ばし歩行者の進行を妨げる。時には20~30分もゲート前の横断歩道の歩行を止められることもあるそうだ。道路交通法(38条)では歩行の障害になることは禁止とされているのに、である。私たちは、それに抗って、話し、写真を撮り、考えこみ、怪我を装い、立ち止まり、三々五々工夫しながら、歩道を行ったり来たり。
11月23日(土)今帰仁村→うるま市→読谷村
今帰仁村:土地規制法講義
午前中に谷山博史さん(日本国際ボランティアセンター顧問/土地規制法対策沖縄弁護団/沖縄対話プロジェクト発起人)から、宿泊させていただいた泉原ハウスにて土地規制法についてお話を伺う。2013年12月国家安全保障戦略会議で「国家安全保障の観点から国境離島、防衛施設周辺等における土地所有の状況把握に努め、土地利用等の在り方について検討する」と決定され、2021年6月国会可決・成立された土地規制法を読み解く時間であった。
「かみ砕けば住民、自治体との密告を奨励する法律」との言葉を聞いた時は衝撃だった。近隣住民たちを疑心暗鬼にさせ、先には地域の不安定さを生じさせる動きかと思った。さらに、「知らない間に自分の地域が注視区域・特別注視区域に指定されてしまう可能性もあり、注視していかなければならない。」との指摘もあった。
うるま市:陸上自衛隊訓練場の整備計画撤廃運動のお話
沖縄県立石川青少年の家近くで、伊波洋正さん(自衛隊訓練場設置計画の断念を求める会事務局長)にゴルフ場跡地への陸上自衛隊訓練場の整備計画撤廃についてお話を伺う。ここの運動の特徴は、水と油とも思わせる「基地容認派」、無関心と思われがちな若者たち、さらに「老人施設入所者たち」をも巻き込んだ「保守、革新を超えた超党派の住民主体の動き」だった。あらゆる世代を巻き込んだこの住民たちの動きは、様々な運動のモデルケースともなりうるだろう、と思った。
うるま市:陸上自衛隊勝連分屯地、ホワイトビーチ見学
宮城和之さん(ミサイル配備から 命を守るうるま市民の会)の案内で陸上自衛隊勝連分屯地正門の見学。門柱に掲げられた札には2024年3月に新編された「第七地対艦ミサイル連隊」と記されている。これは沖縄島で初配備となる地対艦ミサイル連隊(陸上自衛隊の部隊の一つで地上から敵艦艇を攻撃する対艦ミサイルを運用、担当エリアの防衛を行う)で宮古島や石垣島、奄美大島などの琉球弧のミサイル部隊を統括する役割を担っている。
ここ数年、「ミサイルが発射されました。」のニュースを聞くが、近い将来「日本からミサイルが発射されました」のニュースが世界に向けて、あるいは世界から発信されることが、あるやも知れぬと想像される場所であった。
アメリカ海軍と海上自衛隊が共同利用するホワイトビーチは小高い丘からの見学となった。眼前に海軍船が2艦停泊、ややあって陸側から装備を備えた兵士とみられる人びとが艦に向かって移動する姿が見られた。
読谷村:チビチリガマ見学。金城実さんのアトリエ訪問
読谷村は1945年4月1日、沖縄本島に米軍が初めて足を踏み入れた地である。その上陸の翌日、地獄絵図と言われる強制集団死が起きたチビチリガマを訪問し、しばし黙とうをささげた。金城実さんのアトリエでは、完成したばかりの「解放へのオガリ」像が私たちを迎えてくれた。抑圧された民衆の立場から彫刻制作を続ける金城さんの作品をしばし見学させていただき、作品を通して訴えを続ける金城さんのお話を伺った。
11月24日(土)読谷村→那覇
読谷村:シムクガマ訪問
チビチリガマの「強制集団死」が起こった同日、ハワイ帰りの移民で英語を解する兄弟がいたシムクガマでは兄弟の必死の説得で住民全員が米軍に投降し、1000人近くもの命が助かった。二つのガマの距離はわずか1km。二つのガマで起きたことを知る中で、多くのことを考えさせられた。
那覇へ移動の道中に「道の駅かでな」から嘉手納基地見学、嘉数高台公園から普天間基地見学。
12時 那覇空港1次解散。
オプショナルツアー
南城市→糸満市→那覇
南城市:玉城城訪問
過去のツアーでも何度もご案内いただいた我喜屋末子さんに南城市にある聖地、沖縄で最古の城(グスク) のひとつといわれる玉城城の案内をしていただく。
私たちの訪問中、お祈りにいらしていた地元の人の話を聞くと、「ここの神様にはよくお祈り来ますよ。お供え物を持って。なんら特別のことではないですよ」の言葉が返ってきた。供物をささげ、地に膝をつけ祈る姿勢は、まさに平和を祈る人びとを思わせた。
南部戦跡である魂魄の塔、平和祈念公園(平和の礎)見学。それぞれの10分程の滞在時間だった。今回のツアーは北海道からの参加者もいらっしゃり「北海道出身沖縄戦で亡くなられた方の刻名碑を探そう」と、バスを降りたものの早々に時間切れになってしまい申し訳なかった。
17時 那覇空港 2次解散。
ツアーを終えて
3泊4日沖縄島を縦横無尽に駆け、歴史に思いをはせ、多くの人に出会った旅でした。
出会った人びとそれぞれが、「自分で自分の思いを考え、伝え、動く」決して派手ではないけれど続けていくチカラが地域を変えていく何かとなることを改めて感じ入りました。
最後に、折しも12月、新しい年が争いのない年になりますように。